馮です。こんにちは。
上野からアメ横、そして染太郎さんでのランチを経て、かっぱ橋道具街散策がスタートしました。
ここまでの様子はこちらの記事をご覧ください。
[鍋、ぶらり。]第壱幕:合羽橋をぶらり。鍋、鍋、鍋…、ときどきおたま。
[鍋、ぶらり。]第壱幕:無計画も悪くない。上野から合羽橋へ
[鍋、ぶらり。]第壱幕:あれもそれも鍋でいいじゃないか。お好み焼きの老舗にて
今回から、大崎・日菜子・馮の三名がそれぞれ見て・聞いて・感じ取った「かっぱ橋道具街」の様子をお届けします。
まずは、馮的かっぱ橋道具街散策をお届けします。
そもそもかっぱ橋道具街って?
かっぱ橋道具街
http://www.kappabashi.or.jp/
この場所の名前にもなっている合羽橋(かっぱ橋)という地名の由来には二つの説があるそう。
一つは、この場所にあった下屋敷で小身の侍や足軽が内職で作った雨合羽を、天気の良い日に近くの橋にズラリと干していたという、「雨合羽」説。もう一つは、このあたりの水はけが悪いため、合羽川太郎(本名合羽屋喜八)が資材を投げ打って掘割工事を実施し、それを隅田川の河童たちが、川太郎の善行に感動して夜な夜な工事を手伝ったことに由来するというもの(いずれも上記公式サイトから引用・編集)。
個人的には河童たちの説を取りたいです 🙂
その後、大正元年ごろに数軒の道具商が店を構えたことが始まり(Wikipediaより)とのことです。大正元年といえば1912年、今から100年ほど前からあったとは。歴史と伝統の街ですね。
体験する価値~オトナでも得られる驚きと発見
では、僕のかっぱ橋道具街レポートを。実は、かっぱ橋道具街をこうしてじっくり歩くのは初めて。なので、とにかく一軒一軒観て回るだけで楽しくて楽しくて。
さらに鍋が目的ではあるものの、鍋以外の食器や調理器具を観て、「これはなんだろう?」「こんなにちっさいのにこの値段?!」などなど、ふだん触れている世界とはまったく違うモノ・情報が目の前にあって、小学校のときに体験した社会科見学をしているかのような、驚きと発見を得ることができました。
打算の産物から生まれた、新体験・新発見
実はこの「鍋、ぶらり。」、始めようとしたきっかけの一つは、「暑くなったら鍋食べるの大変だし、活動が停滞しちゃうかな?とりあえず、暑いときにもできる企画を考えよう」というちょっと消極的な課題意識でした。
たしかに、冬の寒い季節、ハフハフとみんなで鍋をつつくのは楽しいし、美味しい。でも、考えてみてください。気温30度を超える中、たとえ冷房が聞いていたとしても、みんなでアツアツの鍋……というのはちょっと考えにくいものです。
さらに、鍋を食べるだけだと飽きちゃうかな、なんていう(この活動をある種全否定するw)不安もあって、ある程度鍋をつつけたら、次は鍋の周辺にまで広げた企画を実施しようと、三名が誰ともなく言い出して、全員一致で開催に至りました(注)。
注:理由部分は多少盛っています。実際は夏でも鍋をがんがんつつきますけどねw
結果として、今回の第壱幕を開催して感じたのは「本当に楽しかった!」ということ。僕はいろいろなことを知りたがる、たぶん人より好奇心が旺盛で、あといろいろ頭で考えちゃうタイプなんですけど、やっぱりこうやって行動して、実際に触れて、人と話すというのは、自分の頭の中では得られない、プライスレスな体験でした。そしてさまざまな発見が得られたのが印象に残っています。
鉄鍋に中華鍋、寸胴鍋に、ヒラメ鍋なんていうものまで。鍋には見た目以上の深さがある!
さて、いよいよ本題。鍋レポートです。
これから、写真とともに僕が気になった鍋を紹介していきます。
●丸鍋、郷愁を誘います
まずはこの丸鍋。南部鉄器です。こういう鍋、味があっていいですね。
●中華鍋、祖父の店を思い出す
続いてこちら。中華鍋。デカイっす。
中華鍋というと、祖父が横浜中華街で同發新館という店のオーナーだったこともあって、昔を思い出します。
●寸胴鍋、大は小を兼ねるとはよく言ったもの
「寸胴鍋、獲ったどーーーー!!!」。
●3層鋼土鍋風なべ……謎
鍋のゲシュタルト崩壊。鋼なの? 土なの? そもそも土鍋風なべって……。
●ヒラメ鍋、MIN(Most Impressive Nabe)
今回、僕が最も印象に残ったのがこれ。
フランス製の「ヒラメ鍋」。ヒラメ料理のためだけにつくられたというもの。海のだいぶ向こう、フランスの料理人・職人たちの料理への強いこだわりをビビッと感じた逸品でした。
このヒラメ鍋、今回の僕のMIN(Most Impressive Nabe)に輝きました!パチパチパチ。
●おまけ
うまい棒(30本×3パック)買っちゃった。
以上、かっぱ橋道具街から馮がお届けしました。
このあとも大崎・日菜子、両メンバーそれぞれからのレポートが続きます。お楽しみに!