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[第参鍋]夕日鍋から考えるコミュニティ~余力のものほど本気でやるから面白い

こんにちは、日菜子です。
だんだん温かくなってきましたね。我が家の雪もほとんどなくなりました。いよいよ春が近くなってきたようです。

鍋が出てきた段階では、どこが夕日なのか分からない。

今回つついた鍋は、「夕日鍋」。「鍋、つつこ。」至上、最も美しい鍋といっても過言ではないと思います。

夕日鍋の由来

女将曰く「夕日鍋」という名前の由来は、鍋を食べ終わったあとに現れる茜色のスープから来ているそうです。ロマンが溢れる名前だと思いませんか?

夕日鍋の高さはiPhoneよりも少し高いくらい。締めの頃には、見る影もなく…(後半へ続く)。

夕日鍋の特徴は、余分な水分をいっさい入れないところ。野菜を熱して出てくる水分がそのまま出汁になります。野菜の水分が秘伝の調味料と一緒くたになり、ここでしか触れられない優しい甘味に出会うのです。つついておいしい、見て楽しい、二度楽しめる鍋です。

余力のものだから、本気でやりたい

夕日になる準備が進む、野菜の山

茜色に染まる鍋を囲みながら話したテーマは「余力と本気について」。
「鍋、つつこ。」自体、「鍋を食べたい」という生理的欲求と「日本文化を語りたい」という自己実現欲求の二つが渦巻くグループです。この欲求を満たすために企画を立てたり、記事を書いています。記事の下書きも溜まりつつあり、「鍋Q」を始めイベント企画も鋭意進行中です。それぞれ鍋とは無関係の本業があり、「鍋、つつこ。」は余力でやっています。

本気だから面白い

鍋だけでなくカルビもおいしかった

「鍋、つつこ。」は、趣味と同じような面白さだと思います。その理由は、「本気で取り組んでいる」ことだと私は考えています。「鍋、つつこ。」の現在の環境は、「やりたい」と手を挙げた人がやりたいようにできるシステムになっています。「やりたい」ことが「どういうステップを踏めば実現できるのか」を考えて、着実に実現へ向け一歩ずつ進んでいます。

また、定期的な鍋活動を持続させるためにはお金が必要なので、「鍋、つつこ。」を通していずれはお金が入ってくる仕組みについても日々話し合いをしています。

野菜の輪ができました。この下には茜色のスープが眠っています。

仕事の忙しさは人によって違うので、チャットへの返事も遅かったり早かったりバラバラですが、「本当にやりたい」と心から思っているので、返事の遅さに対して皆、気後れも何もありません。それはお互いに分かっていることなので、ステレオタイプに「空気を読む」こともありません。好き勝手し放題です。

「やりたい」という気持ちさえあれば活動のコアタイムがバラバラでも、上手く回っていくものだと思います。

惰性でやるのは無駄、余力だからこその本気

夕日鍋の食べごろは、野菜がスープでくたくたになったころです

どちらかというと余力でやっているものを惰性でやるのが一番よくない、すなわち、余っているチカラ・時間に100%をつぎ込むというのが私たち三人の基本姿勢です。
人の能力も時間も有限なのは明らかなことなので、余力や余暇の多くを惰性で過ごすのは無駄以外の何者でもありません。
もっと本質で言えば、それは余っている時間ではないはずだから。それなら、より自分が楽しいと思えるものに対して余力を注入し、有意義に過ごした方が正しい時間の使い方かなと思います。私は、余力を大いに使って、おいしい鍋を多くの人とつついて、残りの鍋人生を大いに楽しむのが理想です。

夕日鍋と「コミュニティ」

女将のおススメでシメは麺にしました

夕日鍋のスープは、野菜からでる水分とこの店の調味料だけで作られています。ここから余力の注ぎ方を考えてみます。

この鍋のスープの魅力は何と言っても野菜の甘さが効いているところです。優しい甘さで、もう一度食べたくなる味です。そこに調味料という、お店の独自性が加わるのです。この夕日鍋をつついていると、自分たち「鍋、つつこ。」を運営する上で参考になりそうな点があることに気が付きました。

この鍋のスープは、野菜本来が持つ「水分と甘味」が個性となる「調味料」と建設的な関係が築くことで出来上がっています。これが成り立つのは、夕日鍋が野菜のポテンシャルを引き出す構造になっており、野菜自身も自分の役割を自覚して甘さを存分に発揮しているからです。秘伝の調味料は、野菜だけでは甘くなりすぎてしまうところを丸く収めている役割があるのかもしれません。

鍋いっぱいのスープ。最初の姿からは想像つかない。まさに夕日を思い浮かばせるオレンジと丸。山頂から見渡す夕日のよう。

「鍋、つつこ。」のようなコミュニティも同じようなものだと思います。これは私の理想論かもしれませんが、各人が自分の可能性に賭けてみる、賭けることができる環境が整っていれば、出てくる結果も満足のいくものになるのではないでしょうか。もちろん自分の言動に責任を持つということが大前提にあります。

その可能性に賭ける環境は夕日鍋でいうところの野菜から出てくる水分だと思っていて、そこにある普遍性を信じればこそ、個性となる調味料が加わることでたとえ甘くなりすぎて失速しかけても、満足感・達成感が得られるのではないかと。ただ、(ここで言う水分や調味料のような)環境に依存するのが当たり前というのが通ってしまうと、許容範囲を超えて料理としてそもそも成立しなくなったり、自分なりに楽しめるはずの鍋が受け身の料理となり、冗長な環境になってしまうので塩梅が難しいところです。

あくまで各人の適正な余力があってこその「鍋、つつこ。」運営です。夕日鍋も同じ。モリモリの野菜があってこそ、鍋いっぱいの茜色のきれいなスープにお目に書かれるのです。依存しすぎてはだめです。何事も「用法・用量を正しく守る」。

みんなの余力と本気で、鍋、つつこ。

(文責:日菜子)

お店の方を囲んで、記念の一枚

今回つついた鍋

種類: 夕日鍋
店名: 夕日鍋と焼肉のお店 うえだ
URL: http://yuuhinabe.com/
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