“JUST A RUNAWAY 止めないでよ、後悔は少なめのMY LIFE~” おもわずB’zの『孤独のRunaway』を口ずさみたくなるぐらい孤独感を感じた馮です。こんにちは。 立春が過ぎ、数日前には都心でも雪が降るなど余寒が厳しい中、「鍋、つつこ。」の活動は粛々と行われています。寒い季節は、僕たちにとってまさに絶好の活動機会。 そんな中、先の月曜日、ブログ開設後初となる三人での第壱鍋がつつかれたわけです。 詳しくはこちら。「鍋、つつこ。」初登場となる加藤日菜子入魂のエントリ。 [第壱鍋]鍋とは共産主義の一種の発現である https://nabe22.co/2014/02/06/219 ええ、もう、びっくりですよ。あんなに和気あいあいと、そして真剣に鍋をつついたのに…… あろうことか、日菜子女史がこんなことを書いたんです。
一人で鍋を食べることは、「鍋に準じたものを食べている状態」になります。広義でいうと鍋ですが、狭義で言えば鍋らしきものになるのでしょうか。
!!!!! 「鍋“らしき”」。スーパーカートリオは「屋敷」。 まさかの一人鍋否定。僕の活動を全否定。合掌。 さてさて。今回は馮がお届けするコソ鍋、一人鍋です。
鶏すきやき
前回のコソ鍋でランチに食べる鍋の醍醐味を紹介しました。個人的には、この感覚はすごくいいと思い、(たとえ一人鍋が認められなくても)オフィス近くの店で、ランチ鍋を扱っているところを探索。見つけました。 今回ご紹介するのはこちら。
鳥元さんの「鶏すきやき定食※」。甘辛い割下で煮込まれた鶏肉に白菜、玉ねぎ、豆腐、しらたき、そして半熟卵の組み合わせが最高です。美味かった。「定食」で考える日本文化
この「定食」という形態、僕の中では馴染みが深いものですが、改めて考えてみると日本ならではなのかもしれません。 「主菜・白飯・椀物・漬物」といった、さまざまな組み合わせの料理を一つのお盆に載せ、完成する定食。主菜には、和のモノ、洋のモノ、中華のモノ、料理であれば何でもありで、「定食」という一つの言葉で和漢洋の世界を生み出せるのです。 そして、「定食」を提供する「定食屋」という店舗の在り方は、世界を見渡してもあまり類を見ない、日本ならではのものでもあります。「定食」と「定食屋」――これは、日本の文化が生み出した「食のグローバリゼーション」と言えるんじゃないでしょうか。 ちなみに、「定食」「定食屋」の独自性については、ミスター味っ子こと味吉陽一も
- 「ありとあらゆる国の料理がひしめいている」
- 「日本という国は世界でも稀に見る大きな食の多様性を持つ国」
と言及しています(『ミスター味っ子II(5巻)』参照)。 鍋が持っている「一つの器からみんなで一緒に」という世界観とは異なりますが、多様性の観点から見ると鍋に通ずるものがある「定食」。これを理解することで「鍋」への理解度がさらに深まるんじゃないかとふと思ったのです。
一人鍋を、早く“一人前”の鍋に
こうして今回も、自分としては満足のいく鍋をつついたわけですが、やはり気になるのは「一人鍋は鍋“らしき”もの」という表現。 たとえ孤独に鍋をつつき続けたとしても、一人鍋を早く「鍋らしきもの」から、真の意味での“一人前”の「鍋」に昇格させたい。
B’zの『孤独のRunaway』をBGMに。後悔は少なめに、鍋、つつこ。 ※「すきやきって鍋なのか」論争が起きそうですが、それは次回の「鍋、つつこ。」で語り合いたいと思っています。 (文責・馮) ■今回つついた鍋
種類: | 鶏すきやき |
店名: | 鳥元 市ヶ谷店 |
URL: | http://r.gnavi.co.jp/g223659/ |